筑後川昇開橋がリニューアルオープン ― 2011/02/11 08:10
先日、大川市の関係者の方から、筑後川昇開橋のリニューアルオープンのお知らせを頂きましたので、このブログに転載します。
1935年(昭和10年)に佐賀線の筑後川橋梁として竣工した筑後川昇開橋は1987年の佐賀線廃線後も、地元の自治体や住民の皆様の尽力で遊歩道として整備・保存されています。2003年に国の重要文化財に指定され、さらに2007年には日本機械学会から機械遺産に認定されています。
2009年から保存修理工事が行われていましたが、このたび工事が完成し、2011年2月13日(日)に、美しくなった筑後川昇開橋のリニューアル記念式典と一般通行の再開が実施されました。
1935年(昭和10年)に佐賀線の筑後川橋梁として竣工した筑後川昇開橋は1987年の佐賀線廃線後も、地元の自治体や住民の皆様の尽力で遊歩道として整備・保存されています。2003年に国の重要文化財に指定され、さらに2007年には日本機械学会から機械遺産に認定されています。
2009年から保存修理工事が行われていましたが、このたび工事が完成し、2011年2月13日(日)に、美しくなった筑後川昇開橋のリニューアル記念式典と一般通行の再開が実施されました。
↑筑後川昇開橋。正式名は元筑後川橋梁です。(2000年3月)
「大川昇開橋」とか「諸富川橋梁」などと呼ばれる場合もあります。
大川市は古賀政男の出身地でもあり、古賀政男記念館があります。
♪幼馴染の あの友この友 ああ 誰か故郷を想わざる
「大川昇開橋」とか「諸富川橋梁」などと呼ばれる場合もあります。
大川市は古賀政男の出身地でもあり、古賀政男記念館があります。
♪幼馴染の あの友この友 ああ 誰か故郷を想わざる
「京都漱石の會」代表丹治伊津子さんの著書「夏目漱石の京都」 ― 2011/02/11 08:00
京都漱石の會代表の丹治伊津子さん(別名『椿わびすけさん』)が、夏目漱石と京都のかかわりを紹介する著書を出版されました。
先日、ご本人からお知らせを頂きましたので、ここに転載させていただきます。
書名 夏目漱石の京都
著者 丹治伊津子
発行日 2010年12月20日 初版第一刷
発行所 翰林書房(かんりんしょぼう)
詳しくは下記をご覧ください。
http://kyotososeki.at.webry.info/
先日、ご本人からお知らせを頂きましたので、ここに転載させていただきます。
書名 夏目漱石の京都
著者 丹治伊津子
発行日 2010年12月20日 初版第一刷
発行所 翰林書房(かんりんしょぼう)
詳しくは下記をご覧ください。
http://kyotososeki.at.webry.info/
↑夏目漱石の句碑(右後方の比叡山と同じ形状です)
「夏目漱石の京都」とは関係ありませんが、夏目漱石は渡英(留学)時の往路でイタリアのジェノヴァからロンドンまで鉄道を利用しています。以下に、その経路を簡潔に紹介します。
1900年9月8日横浜出航
10月18日ナポリに寄港(ヨーロッパ初上陸)
10月19日ジェノヴァに到着
10月20日ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンチペ駅から鉄道を利用し、トリノ経由でパリに向かう。
10月21日パリ・リヨン駅に到着
10月28日までパリに滞在(万国博覧会を3回見学)
10月28日パリ北駅からノルマンディーのディエップまで鉄道を利用、船でドーバー海峡を渡り、再び鉄道でヴィクトリア駅へ。
「夏目漱石の京都」とは関係ありませんが、夏目漱石は渡英(留学)時の往路でイタリアのジェノヴァからロンドンまで鉄道を利用しています。以下に、その経路を簡潔に紹介します。
1900年9月8日横浜出航
10月18日ナポリに寄港(ヨーロッパ初上陸)
10月19日ジェノヴァに到着
10月20日ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンチペ駅から鉄道を利用し、トリノ経由でパリに向かう。
10月21日パリ・リヨン駅に到着
10月28日までパリに滞在(万国博覧会を3回見学)
10月28日パリ北駅からノルマンディーのディエップまで鉄道を利用、船でドーバー海峡を渡り、再び鉄道でヴィクトリア駅へ。
↑現在のジェノヴァ・ピアッツァ・プリンチペ駅です。
↑エッフェル塔から見たセーヌ川です。
↑現在のロンドン・ヴィクリア駅です。
↑夏目漱石の英京倫敦5番目の下宿です。
廃止が迫るシンガポール駅 ― 2011/01/28 22:00
マレー鉄道(マラヤ鉄道)のシンガポール駅(タンジョン・パガー駅)が2011年7月1日に廃止(6月末に運行終了)になるそうです。
シンガポール領内のマレー鉄道の鉄道用地は、シンガポール独立後もマレーシアのマレー鉄道の所有地のままでしたが、マレー鉄道はシンガポール国内部分の路線を、今年から段階的に廃止し、その跡地をシンガポールに返還するとのことです。
シンガポール領内のマレー鉄道の鉄道用地は、シンガポール独立後もマレーシアのマレー鉄道の所有地のままでしたが、マレー鉄道はシンガポール国内部分の路線を、今年から段階的に廃止し、その跡地をシンガポールに返還するとのことです。
↑シンガポール駅(シンガポールの汐見橋駅?)
↑シンガポール駅の車寄せ部分です。
↑シンガポール駅の出札口です。
↑マレーシアの入国審査場を抜けると、写真のプラットホームに出ます。
↑シンガポール発・マレーシア方面行きの普通列車です。
(画像は2006年7月に撮影したものです)
(画像は2006年7月に撮影したものです)
ヴェネツィア ― 2011/01/22 06:18
京都ゑびす神社 ― 2011/01/09 14:20
↑京阪の祇園四条駅から大和大路通に出て、建仁寺の鎮守である京都ゑびす神社に向かいました。しばらく歩くと新道小学校が見えてきました。その北側に京都ゑびす神社の鳥居があります。なお、新道小学校は、学校統合により、今年の3月に141年の歴史に幕を閉じます。
http://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=108409
明治2年(1869年)に、京都において日本最初の学区制の小学校64校(番組小学校とよばれた)が作られましたが、新道小学校は、そのうちの1校(下京第26番組)です。
http://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=108409
明治2年(1869年)に、京都において日本最初の学区制の小学校64校(番組小学校とよばれた)が作られましたが、新道小学校は、そのうちの1校(下京第26番組)です。
↑参拝者が本殿参拝の帰りに神社の裏口の近くにある本殿の裏横の壁板を叩いていました。これは、えびす様は耳が遠いため、社殿の正面で参拝した後、裏に回って壁板を叩きながら、もう一度、祈願しているのです。この参拝方法は大阪(今宮、堀川など)と同じ「えべっさん」のお参り方法です。ただし、本家の西宮えびす宮総本社では、こういう参拝方法はないということです。
↑新道小学校の裏隣りに京都の花街の一つである宮川町の歌舞練場と学校法人東山女子学園(舞妓さん芸妓さんの教育施設)があります。
↑宮川町の茶屋街の中に舞妓を体験できるお店があります。
特急おき ― 2011/01/02 14:02
昨年末に、勤務先の納会後の飲み会で「特急おき」の話題が出ました。私よりも若手の社員(レールファンです)たちに「そういえば、伯備線で食堂車付きの『キハ181系おき』に乗ったことがある」と言ったところ、誰も「伯備線を特急おきが走っていた」という話を信じてくれませんでした。(山陽新幹線全通後の世代には、「特急おき」は新山口(旧・小郡)発着のイメージしかないため、小生の記憶違いか、または『特急やくも』のことを言い間違ったものと受け取られたような感じでした)
そのため、ここに証拠写真を掲載させていただきます。
そのため、ここに証拠写真を掲載させていただきます。
↑1971年頃に大阪駅で撮影した「特急おき(新大阪~出雲市<伯備線経由【現在の特急やくもの前身です】>)と阪急百貨店」です。
阪急百貨店よりも、後ろの梅田コマ劇場の建物とバヤリースの広告看板が懐かしい!
このキハ181系の「おき」には食堂車がついており、指定席が取れなかったときに「立席特急券」で、食堂車を利用したことがあります。なお、この当時の特急やくもは新大阪~浜田間(福知山線経由)のDC特急でした。
阪急百貨店よりも、後ろの梅田コマ劇場の建物とバヤリースの広告看板が懐かしい!
このキハ181系の「おき」には食堂車がついており、指定席が取れなかったときに「立席特急券」で、食堂車を利用したことがあります。なお、この当時の特急やくもは新大阪~浜田間(福知山線経由)のDC特急でした。
現在の「スーパーおき」に使用されているキハ187系です。(画像は「スーパーまつかぜ」)
ついでにU氏の生誕地である西舞鶴関係の画像を貼っておきます。
ついでにU氏の生誕地である西舞鶴関係の画像を貼っておきます。
↑舞鶴線のDC普通列車です。キハ20×7両、キハ10系1両の8両編成です。(1971年3月)
↑国鉄宮津線(現在の北近畿タンゴ鉄道宮津線)の貨物列車です。牽引機は西舞鶴機関区所属のキューロク(9600形)でした。(1971年3月)
























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